虫の知らせの体験談『おばぁちゃんありがとう』僕、親孝行するよ!

虫の知らせ

『虫の知らせ』って、信じますか?

この記事では、私の親族で実際にあった体験談です。

 

この記事で書いている虫の知らせは、

両親への親孝行と

天国へ旅立ったおばあちゃんへ向けて、

感謝の気持ちを込めて書き残します。

 

今の思いを忘れない為に。

そして、日本の言い伝えや風習も大切にしたいと思いましたので。

 

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虫の知らせとは?

一般的に『虫の知らせ』とは、身内や自分・身近な人などに、災いが起きそうな時に

『なんとなく心がそわそわしてしまう』

ことだと私は思います。

 

それが、霊感なのか予知能力なのかわかりませんが、あまり良くない出来事の前触れを感じ取る能力なのかもしれません。

 

『虫の知らせ』を英語では、

I have a presentiment that somesthing bad ~

Presentiment ⇒ プレセンティメント

意味:何か悪い予感がする

というような使い方もされます。

 

ところが今回は、そんな悪い予感ではなくて、

良い予感だったと思います。

 

このような虫の知らせもあるんだな。

 

そう感じた出来事なので、この先をご覧下さい。

少し長い内容です。

 

虫の知らせの前触れ

前触れ

僕には小さい時から大好きだったお婆ちゃん(享年97歳)が、田舎で一人暮らしをしてました。

 

ところが、およそ4年前に庭の手入れをしていたところ『アシナガバチ』に数か所、刺されてしまい、そのまま入院、そして介護施設で暮らす様になってしまいました。

 

おばあちゃんの容態は、鉢に刺されたところはすっかり治りました。

でも高齢なので、その後は介護施設で暮らすことになりす。

 

そこでは、友達もたくさんできて、すごく元気な暮らしをすごしていました。

 

そのお婆ちゃんが、今年の3月中旬、危篤状態になってしまい、僕の母から一本の電話がかかってきます。

 

「万が一のことがあるといけないから、黒服を用意しておきなさい。」

 

はじめは何のことだかわかりませんでしたが、すぐに

 

もしかして、おばぁちゃん?

 

そう思いました。でも、

きっと母も言葉に出したくない様子だったので

理由は聞きませんでした。

 

それから二日後、

母から電話がかかってきます。

 

「実は、おばあちゃんが一時危篤状態になったけど、元気になったよ」

 

それを聞いた僕は一安心です。

 

ただ、これは虫の知らせの前触れだったのかもしれません。

 

母が急に倒れてしまった原因は脳出血

月が変わり、4月に入ると僕の両親の実家ではそろそろ田植えの時期がやってきます。

あと1週間もすると、本格的に田植えが始まるぞ!

 

4月3日の早朝4時半頃

 

父は田植え時期になると、朝日が昇る頃に田んぼへ向かいます。

その父の朝ご飯を用意する為に、母は父より早く起きて朝食の準備を始めます。

 

そんな時です。

 

早起きが得意な母親はいつも通りに起きて、庭へ出て離れのおもやで朝食の準備を始めます。

 

(僕の実家は農家なので、約650坪の敷地内には、庭と母屋、離れ1棟、犬小屋、米乾燥機が2台入っている物置、車庫3つ、ビニールハウス2棟)

 

朝食の準備を簡単にすませると、いったん布団がひいてある離れへ戻り、着替えようとしますがこの日は特に寒くて、連日の田植えの準備で疲れていたのでしょう。

 

すこし布団で横になります。

 

10分ほど経ったころ、再び母は布団から出ようととすると、

なかなか起きられません。

 

なんとか布団から起き上がると、フラついてしまい、また布団へ戻ります。

 

きっと、いつものめまいかもしれない。

 

そう思って布団の中へ戻りますが、いつもと様子が違います。

 

 

うぅ…

 

あぁ…

 

 

なんだか小さなうめき声をあげています。

 

異変に気が付いた父親は、

いつもと違う母親をみて

 

『どうした?具合でも悪いのか?』

 

母は答えられません。

 

父はその事態に気が付き、慌てて救急車を呼ぼうとします。

 

ところが、母はそれは恥ずかしいからやめてくれ。

 

お父さんに病院まで送ってほしい。

 

その様になんとか父に伝えて、2人で病院へ向かいます。

 

この時私は、大学時代に上京して、それからずっと両親と離れてくらしてます。

 

なので、この時の様子は後から父親が教えてくれた内容です。

 

意識も、もうろうとしてるのに、

『寝間着のまま病院は恥ずかしい』

 

そんな事を言ってる場合ではないのに、母は父にそう伝えます。

 

苦しむ母を何とか着替えさせて、父は病院へ連れて行きます。

 

初めに向かったのは、旧町の総合病院(現在は市町村合併して、市営の病院)。

 

この時すでに朝7時を過ぎた頃

 

運悪く、処置出来る先生はいません。

 

そこで、すぐに近くの市立病院へ連絡してもらい、父の車で病院へ向かいます。

 

この時、救急車という方法もあったのですが、なにせ田舎町。

 

町の救急車は出てしまっていて、到着まで30分以上かかるとのこと。

 

そんなの待ってられないので、

父の車で私立病院へ向かいます。

 

そして、初めに訪れた病院からは、これから向かう市立病院へ状況を伝えてくれてました。

 

父が到着すると、病院玄関でタンカーを準備して待っててくれました。

 

症状から判断して、すぐに脳をCT検査します。

 

すると、先生の予想通り

脳出血ということが分かりました。

 

幸いにも、緊急手術が必要なまでは悪化しておらず、点滴で出血と血圧を抑えます。

 

母は高血圧だったのですが、病院へは通ってませんでした。

 

そして、朝の9時少しを過ぎた頃

父親から僕のスマホへ着信がありました。

 

この時は仕事中で電話に出られず、留守電が入ってました。

 

『今朝、母さんが倒れちゃった。ただ、今は少し落ち着いてる』

『電話かけれる時に折り返してくれ。』

 

このする電を確認してすぐに折り返します。

 

病院を回されたのが幸運だった

脳出血で緊急入院

僕が着信に気が付き、9時半頃に電話をかけます。

 

すると、父は

『まず、落ち着いて聞いてほしい』

 

そう言ってから朝からの状況を説明されます。

 

僕は、今

母さんが無事なのか知りたい!

 

そして、父は言いました。

『母さん、今は意識も戻り看護婦さんと先生がずっと見てくれてる』

(昭和25年生まれの頑固な父は、看護師さんのことを今も看護婦さんと呼んでます)

 

この時診てくれた先生は、幸運にも

地域でも名医と呼ばれる脳の専門医でした。

 

その先生が、しばらく点滴で様子をみましょう。

 

そう言ってくれたことを教えてくれた。

 

それを聞いた僕は、まずは一安心します。

 

脳出血の原因は高血圧と急な温度差だった

高血圧と血管の老化、4月初旬なのに朝の冷え込みが強かった日。

 

母が倒れてしまった日の朝は霜が降り、庭に置いてあるバケツの水に薄氷が張るくらいの寒さでした。

 

そして、部屋の中は暖房をかけています。

 

外気と室内の温度差と

高血圧で、

脳内の血管が破裂してしまったらしい。

 

出血した血液は脳の神経を圧迫して、身体に症状が出たという状態でした。

 

脳出血から徐々に回復してきた母親

僕はすぐに病院へ向かいたかったので、

まずは父親へ電話をします。

 

『もしもし、お母さんの症状はどう?』

 

父はこう言います。

『母さん、もう大丈夫だ。先生からも徐々に回復してると、説明を受けた』

 

その様に教えてくれます。

 

母は、市立病院の1人部屋

点滴治療に入りました。

 

2日に1回のペースでCT検査をして、脳内の出血の状態を確認します。

 

その後MRI検査も行い、より詳しく血管の状態を検査していきます。

 

母は、ゆっくりですが出血した血液は体内へ吸収されて、時間とともに症状も緩和されてくる。とのことです。

 

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脳出血と後遺症そして田植えが始まる

母の症状は回復して来てるのはわかったのですが、

そこで心配なのは後遺症です。

 

脳出血を発症すると、手足のしびれや言語に障害が残ってしまうこともあるのですが、幸運にもその様子は見られません。

 

本来だったら、すぐに病院へ様子を見に行きたいのですが、父と毎日電話もしていたので、すぐにはお見舞いへ行きませんでした。

 

理由はいくつかあります。

東京で自分の家族や仕事のことがあるのと、

父からの『もう、大丈夫心配するな』

と強い口調があったからです。

 

もう1つの理由は、

ちょうど田舎では田植えが始まり、本来だったら父と母、そしてシルバー人材のお手伝いさんを1人雇って、3人で田植えをする予定だったからです。

 

でも、急遽このような状態になってしまったので、旧町役場でシルバー人材の方をもう一人お願いしていたので、僕が行っては邪魔になってしまう。

 

という理由もありました。

 

このような事態なので、父は

『危ないから絶対に車で来るな!』

と釘をさされました。

 

『こういう時は、気持ちが動揺しているから事故でも起こしたら、もうどうする事も出来ない。』

 

『母さんが心配して血圧が上がってしまったら、次は大変なことになってしまう。』

 

その様に言われると、すぐに病院へ行きたくても行けなかった。

 

兄貴が母親の様子を教えてくれた

入院してから1週間後の日曜日、

私の兄が病院へお見舞いに行きます。

 

兄貴は電車とレンタカーで病院へだけ向かいました。

 

そして、その時の様子を電話で教えてくれました。

その内容は、父が電話で教えてくれていた状態とほぼ同じ。

 

兄の連絡をもらって、僕はやっと気持ちが落ち着きます。

 

実は、兄貴からの連絡をもらうまでの僕は、父の言うことを少し疑っていました。

 

『父からの言葉は、僕や兄に心配かけないようにと良いように言っているかもしれない。』

そんな気持ちが、少なからずあったからです。

 

こういう時にやっぱり

長男と次男の差がでるのかな。

とも思います。

 

兄貴から遅れて1週間後、母のもとへ

兄が母の入院している市立病院へ行った後、僕も病院へ電車で向かいます。

 

この時は田植えも一段落していたので、病院の最寄り駅まで父が車で迎えに来てくれました。

 

駅に着いたのは11時30分ごろです。

 

父もだいぶ落ち着いた感じで、

『昼飯でもくってから、母さんの様子をみてやってくれ。』

『そして、元気をあげてくれ』

 

そう言ってくれたので、安心しました。

 

父と2人で田舎のお蕎麦屋さんへ行き、蕎麦をすすりながら当時の状況を説明してくれます。

 

内容は電話で何度も教えてくれていた通りでした。

 

そして最後に、

『かぁさん、だいぶ元気になってきたら、早く会いにいくか!』

 

そう言ってお蕎麦屋さんを出ます。

 

脳出血から回復してきた母親

母と前回会ったのは4カ月前のお正月です。

相変わらず、せかせかと動き回り、父には怒鳴られ、それでも軽く受け流す元気な母でした。

 

そんな母でしたが、病室へ入ると

その面影も無いくらいにおとなしい母親。

 

まだベットから1人で立ち上がれません。

言葉も、小さな声でうまく聞きとれません。

 

でも、倒れる前の記憶やその時の様子、

そして、お母さんのお母さん。

僕にとって大好きなお婆ちゃんのことを話してくれました。

 

母さんは

『黒服を用意しておけ。とか言ってしまったけど、お婆ちゃんより母さんの方が先になるかとおもったよ』

 

『でも、早く元気になってばぁちゃんのところへ行きたい』

 

ばあちゃんのことは、お母さんの兄貴や弟が近くに住んでいるので、よく様子を見に行ってくれてます。その状況は、僕の母へ教えてくれていました。

 

なので、おばあちゃんも元気でいることは伝わっていることが分かりました。

 

このような会話と記憶もハッキリしていたので、僕も安心しました。

 

そこで父が

『かあさん、まだあまり脳へ刺激を加えたらよくないし、今はゆっくりと休ませてあげたいから、そろそろ帰ろうか。』

 

そう言われたので、僕と父は病院を出ることにします。

 

でも最後に

『おかあさん、またすぐに様子を見にくるからね!』

『いままで頑張ってた分、ゆっくりとやすんでね!』

 

そういって、病室を出ました。

 

お母さんのもとへ2回目のお見舞い

5月のGWが終わり、翌週の日曜日

僕は1人で母の入院している病院へ向かいます。

 

電車と徒歩(約30分)の距離を歩いて向かいました。

天気も良かったのと、懐かしい街並みを見ながら行きたかったからです。

 

そして、再び母の元へ到着します。

 

『僕だよ。かぁさん、具合はどうだい?』

 

1週間前とはずいぶん変わり、だいぶ元気になっていました。

まだ1人で歩くことは出来ませんが、自分で車いすへ乗り移り、自分で院内を移動できるまで回復して来てます。

 

言葉はまだ小さい声と、

ゆっくりとした話し方ですが、

倒れる前までの記憶は完全に戻っている様子です。

 

しばらく会話と院内を車いすで散歩して、

2時間くらいしたのちに

帰ることにしました。

 

良かった。

だいぶ元気になってきてたので。

 

そして、点滴も取れてこの時は飲み薬へと変更してました。

もちろん、自分でコップを使って飲むことも出来ます。

 

よかった。

よかった。

 

少し安心したので、病院の帰りに寄った田舎町の様子です

 

頑固な父親が初めて弱音をはいた

父の弱音

父親は僕が小さい時からすごく頑固な父でした。

でも、とにかくよく働くお父さんでした。

 

僕が中学3年生までの間に何回か転職はしましたが、サラリーマンをやりながらずっと農業は続けていました。

 

田舎ではよくある兼業農家です。

 

会社から早く帰って来た時は帰宅後すぐに田んぼへ向かい、休日ももちろん田んぼへ出かけます。

 

今、当時の父親と同じくらいの年齢になった自分と比べると、本当にすごいな!いつもそう思っています。

 

そんな父親で、家ではとても頑固オヤジでした。

そして、決して弱音を吐きません。

 

愚痴とかも聞いたことがありません。

 

その様な父親だったのですが、

今回の母の脳出血のことがあり、

初めて父の弱音を聞きました。

 

それは、母が入院してから頻繁に電話で様子を聞いてた時です。そして、母の容態もだいぶ良くなってきたころです。

 

『なんだかんだ言っても、かぁさんがいないと寂しいよ…』

『今は話し相手はコロ(愛犬の仮名)しかいないよ』

 

いつもお母さんの帰りを待ちながら、寂しそうにしてるよ。

そして、コロを母屋へつれてきて、夜中の11時頃に一緒にご飯を食べながら過ごしているんだ。

 

と言う感じで、あの頑固な父親の弱音を初めて聞きました。

 

さいごには、

『すまんな。愚痴を聞いてくれて』

『お母さんの有難さをしみじみわかったよ』

 

この時の父親は

昼間の田植えの疲れがあったのに、片道30分以上かけて、毎日母の病院へ行ってました。

洗濯物を取りに行ったり、少し会話をしたり、看護師さんから昼間の様子を聞いていたからです。

 

父は病院の帰りにスーパーで買い物をして、母と自分(父)の洗濯物をすませ、寝るのはいつも夜12時を過ぎていたそうです。

 

父は田んぼを済ませて夜の7時半~8時頃に母の病室へ向かい、1時間くらい様子をみて帰宅する日々を送っていました。(父は67歳)

 

脳出血で入院後リハビリ病院へ移動

僕が2回目のお見舞いへ行った翌週、

母は、つかまりながら1人で歩けるようになってきたので、今度はリハビリ専門の病院へ移動する事になります。

 

幸いにも脳出血の後遺症が無かったので、いよいよ本格的にリハビリを始めるからです。

 

今までの市立病院では、リハビリは1日30分程度でしたが、次に行く病院は1回に1時間のリハビリを1日3回行ってくれます。

 

この病院の場所は、父が住んでいる実家から片道50分くらいのところです。

 

次のリハビリ専門病院は、家族の方が毎日通う必要は有りません。

むしろ、本人の私生活復帰の為、毎日の訪問は控えるように。

 

とのことです。

これで、父も少し落ち着いて実家で過ごせる時間が取れます。

 

そうは言っても、病院移動した当日と翌日、それ以降も2~3日に1回のペースで病院へ

母の様子を見に行ってました。

 

そして、今日はこのようなリハビリをしたよ。

とか、

相部屋なので話し相手ができたみたいだよ。

 

まるで実際に見に行ったように、父は説明をしてくれます。

 

その様子から、順調に回復して来てることが

電話の向こうから伝わってきました。

 

本当によかった。

 

母の退院と虫のしらせ

母は6月17日の月曜日に、リハビリ病院を退院することになります。

 

退院前には、2回ほどリハビリ病院の方も立ち会いで、実家へ外出です。

 

退院したあとの生活に困難がないか、様子を見る為です。

 

お風呂やトイレには手摺りをつけなきゃいけない。

 

とか、

 

庭や玄関の段差を低くするように。

 

など、無事に退院出来る状況を確認して、いつまでに改築できるか、

また、掛かる費用は介護保健でいくらまで利用できるなども確認しました。

 

母の場合、約20万円まで介護保険が適用されるみたいです。

 

父もいろいろと大変でしたが、

無事に6月17日の午前中、やっと母はリハビリ病院を退院しました。

 

この日、私は仕事は定時で終わらせて、仕事帰りにさっそく実家へ電話をかけます。すると、元気そうな母の声が電話の向こうから聞こえてきました。

 

この時の母は、

『早くおばぁちゃんの様子を見に行きたいな』

嬉しそうにそう言っていました。

 

この時はまだ、虫の知らせの気配はありません。

 

母が退院したのを確認したおばぁちゃん

母をまってたおばぁちゃん

僕の母は、6月17日(月)に退院、

そして翌日の18日は、徐々に実家の生活に慣れるような生活を始めます。

 

この日の夜も母へ電話をかけました。

様子は、

『久しぶりの実家だけど、段差とかがまだ大変だ』

 

そのように言ってました。

そして、もう少し普通に歩けるようになったら、

早くおばぁちゃんを見に、お父さんに連れてってもらうよ。

 

その様に言っていました。

 

19日の朝…

朝の通勤時間中にスマホへ着信が入ります。

 

相手は実家です。

こんな忙しい時間になんだ?

 

お母さんに何かあったのか!?

心配になったので、通勤途中でしたが途中の駅で降りて電話をかけます。

 

すると…

 

電話の向こうは母さんです。

慌てた様子です。

 

そして

『昨夜遅く、おばぁちゃんが亡くなった』

 

かぁさんから、聞きたくない連絡をもらいました。

 

でも、かぁさんはどことなく元気にこう言ってくれました。

 

『きっと、おばぁちゃんは私(母)が無事に退院してくるのを待っててくれたんだよ』

『おばぁちゃん、ありがとう。』

『ありがとう・・・』

 

そのことを聞いて、僕も母と同じ気持ちになりました。

 

きっと、ぼくの大好きなおばぁちゃんは

母(おばぁちゃんの娘)が無事に戻ってくるまで、待っててくれたんだ。

 

天国では23年前に先に旅立ったお爺ちゃんがいます。

 

でも、きっと

『まだこっちへ来るな!』

そのようにおばぁちゃんに伝えてたんじゃないのかな。

 

その様な気がしてなりません。

 

虫の知らせの体験談のまとめ

一般的に言われている

『虫の知らせ』

良くないことが訪れる前触れを感じること

 

とは、ちょっと違った出来事でしたが、

僕の母が『黒服を用意しておけ』と言ったことは、

きっとおばぁちゃんが、

 

『そろそろ親孝行をちゃんとしておくれ』

 

そう伝えたかったメッセージだったのかな。

 

その様に感じました。

 

高齢化と過疎化が進んだ田舎町なので、おばぁちゃんの葬儀は1週間後になってしまいました。6月という季節なので、葬儀の前に先に仮葬となりました。

 

両親からは、葬儀の時だけ

お前と兄の2人で来て下さい。

そして、おばぁちゃんに最後の別れとお礼を伝えてね。

と、言われました。

 

おばぁちゃん、ありがとう。

天国から僕達やおかぁさんを見守って下さい。

 

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